公務員→建設→新聞配達→派遣・バイト→介護職現在40代ですが、高専を中退し公務員に就職後、過労のため建設業へ転職、その後、就職氷河期の中で新聞配達や派遣、バイトを転々とし、40代でようやく介護職の安定した仕事に就職でき現在に至ります。
40代で介護職に転職した男性のリアル体験談、これまでの経緯
札幌で育った私。手に職をつけたいという心情もあり、高校進学に際しては一般的科ではなく、5年制の高等専門学校へ入学しました。
そこでは機械工学を専攻したのですが、最初心積もりていたよりも工学にそれに対し関心を持てなかった事もあり、5年を過ごす前に別の道を思い描くようになりました。ただし、単に中退するだけでは父母の解釈も得られないと心積もりたため、公務員となる事を吟味。
「公務員試験に合格した」という事実を作ってしまえば、両親も認めざるを得ないだろう、という目論見でした。そうして、受験勉学の甲斐もあり国家公務員2種に合格。
無事に父母の把握も得られ、高校卒業と同等の扱いとなる修了退学の申込み手順を取り、社会人となりました。公務員として配属されたのは札幌市にある病院。そんな訳で事務職として勤務するようになりました。
公務員として勤務を開始するも休めない日々が続き退職を決意
その後、工学的な知識を持っていた事から施設管理的な業務も兼任するように。その上、会計などの業務も担当するようになり、かなり多忙な毎日を過ごしていました。
その忙しさに追い打ちを加えたのが、その頃社会問題となっていた「2000年問題」の扱って担当者となった事。危ういが叫ばれていたのは体系トラブルにより、電気や水道が止まるという危険性。
人の命を預かる病院では最も危険性が高まる事もあり、もしもに準備た扱ってをとる必須がありましたが、担当は私一人のみ。他にの業務も兼任していたため、まさしく多忙そのもの。
家屋にも着替えを取りに帰る程度で、まともな睡眠も取れない毎日が続きました。そのような暮らしを過ごしていたある日、勤務中に吐血。過労、ストレスが積み重なった結果でした。
赤く染まったシャツを見ながら思った事は「もうこの業務は続けられない」という事。勤めて9年目、28歳の事例に退職を心積もりしました。
公務員を退職したものの、当時は就職氷河期で正社員職は無し…拠点を転々とすることに
退職し、1-2ヶ月ほど休んだ後に業務探しを開始しましたが、その頃は就職氷河期真っ最中。その上地方都市という事もあり、まともな正社員の業務が見つからない状況でした。
やっとこさハローワークで見つけた建設事務の業務は、置き換え手段として車が不可欠にも関わらず、車の維持費を捻出するのが容易にはいかないような年収水準。暮らしする事がやっとという待遇であったため、1年程度で退職しました。
その時思ったのは「北海道にいても業務は見つからない」という事。そうしてハローワークで解説された長野の建設企業へ。けれども、そこでも景気悪化の影響から1年ほど経った頃にリストラの憂き目に。
「安定した業務に就くには東京へ行くしか無い」と腹積もり、上京。そうして、ハローワークの解説で新聞配達の業務を見つけ、社員として採用されました。「結局東京には業務がある」と感じましたね。それが30歳の頃です。
求人の多いはずの東京でも安定職は見つからず…その時に追い打ちをかけたのが東日本大震災
そうして2年ほど新聞配達の業務に就きましたが、体力的な負荷が大きい事。その上、長期に渡って働いても月給が上がる望みがなかった事もあり、別の業務を思いめぐらすように。
「東京ならば業務は見つかるだろう」と心積もり、次の業務を決める前に退職を決めてしまいました。この決断が結果的に、それからの苦労の期間を招いたのです。
おっしゃる通り東京は札幌に比較し、多くの求人が影響していました。ただし、それらの多くはプログラマやSEなど専門知識を持った人向けの業務ばかり。
その上、募集資格は大卒前提。30歳を過ぎた、スペシャルな資格も学歴もない自身には応募もできません。結局、ハローワークを中心に業務探しをし、バイトや派遣で食いつなぐ暮らしとなりました。そのような中でついにバイトも決まらない状況に。失業給付を受け取り、職業訓練校へ通ってファイナンシャルプランナー(FP2級)の資格を取得しました。
その資格が活かせる業務に就けないものか、と腹積もり業務探しするも、要望するような事務系の業務は決まらず。単発で工場の仕分けや、建設現場の業務に就いたりとその日生活の暮らし。1年程度の契約社員の業務に就ける事はありましたが、契約は延長されず。
失業し、職業訓練にしかも通って経理の事を学びましたが、業務に就けない状況に変化しはないのですでしたそのような状況に追い打ちを掛けたのが東日本大震災でした。我が家がトラブルを受け、住めない状況となったのです。業務もないし、家屋もない。
40代になり未経験の介護職に転職することに、男性で訪問介護ヘルパーとして働き始める
今後のあてがまったくない。途方にくれた40歳の頃でした。はじめに勤めた訪問介護のビジネス所。
実のところに働いてみると、資格を取る毎に学習した知識が活かせる事。加えて、人から感謝される事や、頼られる事を体感すると、介抱の業務も悪いものではないな、という意識に変わってきました。
利用者様の症状は諸々であり、洗濯や調達などの暮らし介助、病院通いの手伝いなど、求められるサービスも諸々です。広範なサービスを用意可能な一人前のヘルパーになるまで頑張ろう、という心の内が芽生え、ケアマネジャーの資格を取ろうという目標も生まれましたが、このビジネス所の待遇がいわゆるブラック的なもの。拘束時の長さの割に残業代が支払われないなどは正直残念な点でした。
40代で介護職に転職したとしても、資格を取れば確実にキャリアアップできるのは魅力
「ケアマネジャーを目指す」という目標のためには、介護施設も経験しておいたほうがいい、と考慮していたので、オープンしたての法人に話し合いして転職先を熟慮。そうして決めた介護施設は、我が家からの通勤が楽であった事と、介護福祉士の資格を取れば収入が上がるというところが決め手となりました。
介護職の業務の給与は、控えめに言っても高いものではないのです。ですが、介護士は人手不足の状況続き。それ故、業務に就く事のハードルは低い状況です。今まで次の転職先が決まらずに困っていた私でも、転職ができるだった事からもその事はわかるでしょう。
そうして、資格を取得すれば資格手当が付与されるなど、自身の頑張り次第でキャリア膨れ上がるもできるです。そのような意味合いでも、業務に就けずに悩んでいる人、安定した暮らしをお願いする人にとっては、熟慮すべき選択の余地なのでは、と考えます。このまま実際の職場で経験を積み、社会福祉主事任用の資格をとる事が実際の目標です。
その上ゆくゆくは、シルバー世代だけではなく息子や障害者などもバックアップ可能なようになるため、社会福祉士を目指したいと考え、現在は介護福祉士の勉強をしながら介護士としてコツコツ経験を踏んでいる所です。
介護職は女性の仕事という流れがありましたが、最近では男性介護士も増えてきています。訪問介護でも施設介護でも男性のニーズは高いので、性別で転職しにくいということはありません。介護業の経験がなくても、40代の私でもやる気さえあれば始められるので、もし介護職を検討されている方がいれば、まずは見学からいってみることをオススメします。